あきらめるのはまだはやい

そうですね。本当にそう思って(思う様にして)毎日を過ごしています。実は、私は「時間」について考え初めてからというもの、「人生に意味などない。(あるとしたらそれは人生の意味のなさを知った上で、その意味を探すところにこそある)」という考えにとらわれていました。少なくともとらわれそうでした。虚無主義というのですかね、「明るいニヒリズム」の境地にすこし悦に入っていた部分もありました。正直、いまでもその考えを100パーセント捨てているわけではありません。
しかし、ちょっと考えてみると、もし本当に人生(人の生きる)に意味がないのなら、人類は疾うに絶滅していたのではないか?と思い始めました。また個人的なことで恐縮ですが、母が内蔵の病気にかかり、ネットで調べ物をしたときに、人間の中身の精密な図解図のページに行き当たりました。実に人間の中身はうまく(言い方を変えるならば、頼りなくはかなげに)出来ているものなのですね!内蔵ですらそうなのですから、脳の部分に至っては、やはりこれは芸術の域。とても人間が作れるものではない様な仕業が満載です。たとえ明るかろうとも、ニヒリズムに中途半端に浸っているときではない様に、そのとき私は思いました。
時間とは何か?
これからもおそらく「決定的な」答えは出てこない様に思います。しかし、それを無意味とはもういわない。まして、このような人体の作りを持った私たち生命を、無意味といえるはずはない。そう思う様にしました。