11月7日

長い夢を見ていたようだった。百あまりの夜に百あまりの朝。「人生に意味はない。あるとすればそれば無意味という意味しかない」と言い、あるいは言い放っておきたかった。砂で造った城が寄せる波に簡単にさらわれるくらいの脆さで、そのような「虚勢」は崩れるのもわかってはいたのだが。少し歳を取りすぎたのかも知れない。もし言い訳リストをつくってみるなら、最初から3番目にそれは書かれそうなことだ。だから、歳などは関係ない。全く関係はない。どのような言い訳があり、たとえどのような無関心さがあっても、人生に意味のないはずはない。まして「無意味という意味」など的外れも良いところだろう。たしかに、いま、15歳の少年の覚醒した気持ちと、75歳の老人が持つ老獪さとを兼ねもっているはずだ。長い夢のようだと最初に言ったが、それは「ようだ」ではなく、実は夢そのものだったのかもしれない。11月7日。何かがはじまり、なにかが確実に終わりを告げた。
過去もない。未来はまだない。つまり「時間」という実体などはどこを探してもない。すべては最初から分かっていたことだったのかもしれない。百の昼と百の夜を過ごし、またこうして夜がやってくる。今日も到着地はまだ見えず、方向も分からず、しかし船は漕ぎださなければならない。港のむこうに見える小高い丘のまだらな灯りのどれかが、きみの休む窓辺であらんことを・・