珈琲屋

中央線の架線故障でダイヤは大幅に乱れているらしい。暗くなる前に帰りたい彼女との奥多摩行きは諦めるしかなかった。自然と歩く先は以前(それこそ何時だったかは覚えていられないくらいの以前だが)にふたりで待ち合わせにつかった「珈琲屋」に向けられた。一つも同じものがないカップとソーサーがいくつも壁際に並べられ女主人に好みを言えばそれに(言わなければかの女の判断で選ばれたカップに)珈琲が注がれてサービスされる店だった。もっともいつもこちらに出されるのは何の変哲もない青磁のシンプルなかたちのものだったが。彼女が「確かこのへん」と見当をつけて入る路地は新しいケームセンターがあり「こっちだったはず」とこちらが行く先はうっすらと見覚えがある建物でも焼肉屋雀荘だった。探すのをあきらめて大きなガードをくぐる。そこだけが全く変わらない佇まいの飲み屋が連なる横町を傍目で見ながら「DIGやDUGはこっちよね」と彼女が先を行く。その二つの店がもう夙になくなっている事実を言い出しかねて後をついていく。どんな田舎町でもこれだけ年月が経てばある程度の変遷はあるだろう。ましてここは都内でも有数の繁華街なのだ。つい2、3年前になじみになりかけた店が来月も同じところに店を構えている保証はない。たしかに限られた愛好家にジャズを聴かせる店よりも極彩色のネオン看板で呼び込みをかける安売り店のほうがこの町には合っているのだろう。たとえそれがすぐに廃れるものだとしてもだれも10年先を考えて生活をしている町ではないのかもしれない。しかし一歩はいる裏通りは別だった。表通りの喧噪からはまったく筋違いのような密やかさのような匂いをかもしだして佇むそれらの「老舗」はあと数時間後に控えた開店までの静寂とともにその存在を示していた。その表通りの書き割り看板のようなビルとそれら裏通りにある遥か以前から同じ名前で営業している店々との距離はどこかいまのふたりの関係=距離を現しているみたいだと考えてみる。近いと言えばそれこそ手を出せば相手の躯に触れられるくらいに近い。しかし遠いと言えば金星と木星の間ぐらい遠い。もっともその二つの惑星の距離を言えるのかと問われれば見当もつかないのだが。