生きている時間

ついこの前のことなのですが、知人の娘さんの、初めてのお子さんの出産を聞きました。ふつうはそれで「おめでとう」とのことだったのですが、つい先日、そのお子さんの死亡の知らせを聞いてしまいました。生後7ヶ月程のことだったようです。かける言葉もありませんでした。その子(女の子でした)は7ヶ月の命を生きた。そのあいだ、その子にはその子の時間があったはずです。いま、その子の「生」はこの世の現実としてはありません。ということは、その子にとって「時間」は「ない」ということなのでしょうか?しかし、いま「まだ」生きている私たちには「時間」は流れているように見える。今、こうしている瞬間にも時は過ぎているように思えます。しかし、先日いのちの灯し火を消してしまったその子には「時間」はもうない。ないように見える。時間というものの無常な一面をみてしまったように思えます。
生物としての時間。物理的な時間。「絶対(この言葉はあまり使いたくないのですが・・)の時間」が、やはりあるのでしょうか。
『時よとまれ、おまえはかくも美しい・・』という有名なメフィストフェレスの台詞を、つい思い出します。