無と無限

エーテル」とは、またちょっと時代がかった言葉でしたが、時間というものを考えるときに、なにか、そこに介在するものを想像してみたくなるのでした。
しかし、あらためて、なぜ私たちは時間のことを考えたくなるのでしょうか?それは、やはり、有限な存在としての私たちが、時間に対して意識するしないに関わらず、恐怖感を覚えるからでしょうか?
「時間が怖い」それは、私たちが、生の有限さを知っているからですね・・・と、いうことは、やはり時間が分かれば、あるいは、それを乗り越える?ことが出来れば、私たちはその恐怖感を克服できるのでしょうか。時間とは「無」にはなく、「無限」にもない様な気がします。強いていえば、無から無限の「あいだ」に時間は存在しているようです。もっとも、私たちが無限をとらえることは、おおよそ、無理なことのよな気がしていますが・・
おそらくそれは人間の脳では理解できない種類のことなのでは?と思います。
夜空の星を眺めているくらいで、いいのかな?
少なくとも、ワタシの場合は、そのくらいで、無限については考えるのをやめておこうと思います。
しかし、無、無限、どれもが時間を考える時の大切なキー・ワードにはなっていそうなんですが・・・