糀谷・Sさん

トウキョウにもまだこんなところがあるんだね。空港まで行く各駅停車のモノレールを降りて、おもわず彼女に呟いた。そこは下町そのものの風情を醸し出している町だった。駅まで迎えにくると彼女がいった意味が分かる。はじめての訪問者は道に迷うしかないだろう。路地から路地を同じような長屋が続き、やっと彼女の家に着いた。コートを脱ぐと半纏に袖を通す。彼女の動作は自然なものだった。このまえF君とNさんのとこにいったよ。ぼくは話す。あら、そう。それ、いつごろ?えーっと、一週間くらい前かな・・いや2週間経ったかも知れないし、ひょっとするともう一ヶ月近いかもしれない。ぼくの答えに彼女はあきれる。なんて時間の感覚がない人なの。そのくらい覚えてないの?そういわれてぼくはもっと一生懸命その日を思い出そうとするが、やはり上手く行かない。過ぎた時間はどうやらぼくのなかではすべて(過去)というくくりに入ってしまうらしい。だから2歳半の頃の金盥の水の表面張力の膜も、小学生の頃の団地に円盤!が降りてきた事も、田んぼのヌカルミに落っこちた事もみんな(昨日)と同じ部類の事柄なんだと思う。少なくてもぼくの(記憶)装置の中では、それらはシーケンシャルに並んでなどいないみたいだ・・・