志村三丁目・F君

「このコップの水は・・」とF君は、陽が当たらないアパートの一室でココアを練りながら続ける。「世界の一番簡単なモデルなんだね」コタツに入りながらぼくはうとうとし始めた。コタツの上には事実、水がいっぱいに入ったコップが置かれている。水は静かになみなみと満たされている。これが世界か。ぼくは思い出す。「アルケー(「世界」)とは水である」。たしかギリシアの哲人の言葉だ。つまり、志村三丁目のこの狭いアパートのなかに、ここにも世界が一つ存在する訳だ。その水はあくまでも透明で、なにか遥かかなた、エーゲ海の風をうけながらここにたどり着いたかのようだ。そのなかにも時間は在るという訳か。水と時間。なにか関係はあるのだろうか。しかし関係とは「もの」と「もの」で結ばれるはずだ。ということは、時間も「もの」なのか?
F君はまだココアを練っている。
ぼくはいよいよ眠くなってきた。