2007年夏

マウイ島の山から吹き下ろしてくる風は予想外に寒く、男は小さく震えた。大粒の雨も風とともに海岸まで降り注ぎ、もう夜中だというのにまだ海に入っている若者たちの気が知れなかった。男は海岸沿いに建つホテルに戻り、アーケードのABCストアで買ったのり巻きをビールとともに飲み下す。ベランダにも風は強く当たり、外でしか吸えないと注意されたタバコをもって室内に引き返す。
男はゆっくりと小版のノートをとりだし、さてどう書き始めようかと考えた。いや、考えるのはその時がはじめてではなく、成田でも機内でも入国審査を待つ長い列に並んでいる時でも、男は考えていたはずなのだ。
一人で使うにはその部屋は広すぎた。結局夜明けまでかかって、男が書いたのはほんの数行だった。
そのノートは今でも部屋の片隅にあるが、男はもうそれを見ようとはしない。
マウイ島から帰ってちょうど一ヶ月後、男はM市の市立病院に行った。
予想した通り、男についた病名は「鬱病」だった。