北鎌倉・切通し

男は瞬間的に戸惑って足が止まった。

正月の参拝客が溢れていることを見越して、二人はどちらからともなく申し合わせて一つ手前の駅で降りた。毎年のこの時期、東京駅で待ち合わせをしては初詣に行くことがここ何年か続いている二人の習わしだった。かといって、二人は頻繁に会っている訳でもなく、それどころか、正月のこの「初詣」だけが二人で出かける唯一の「約束事」に近かった。
かの女はその年は着物を着ていた。「もう振り袖を着れる歳じゃないの」とかの女は笑っていた。午後の待ち合わせだったせいもあり、もう鎌倉の山々には夕闇がせまっていた。二人はどことなく距離を置きながら進んだ。これも毎年の事だ。行き先はとくに決めない。いや、かの女の方は年々で決めているのかもしれないが、男はいつもかの女の言うままにその年の詣で先を訪ねるのだった。
その年は鎌倉の名前もよく知れていない寺に寄った。二人ともとくに熱心な参拝者ではない。賽銭もそこそこにして茶店でもあったら入ろうかという頃合いだった。いよいよ辺りは暗くなってきた。
繋いでいるのか、そうでないのだかの微妙な距離合いの手を持て余して、切通しのある道を国電の駅がある方へ向かって歩いた。
そのとき、切通しを抜けたところに不意に、その建物は現れた。まるで煮え切らない二人を試そうとするかのように。
その旅館の風情は、あきらかにそういった目的のためのものであるようには見えなかったが、かといって、いくら鎌倉とはいえ、その場所で団体客やら観光客らが、予約を入れて訪れるような名宿だとも思えないのだった。鄙びた門構えの入り口には、「旅籠」とかかれた提灯が掲げられ、すっかり夕闇に包まれた山道の外気をほのかに頼りなく照らしていた。

「あ、これ」と小さくかの女が云って立ち止まる。
男は足が止まったまま、確かにその声を聞いた。


それから数十年の時が経ち、男はかの女と江東区にある美術館で偶然の再会をした。歳月は思ったほど二人の距離を作ってはいなかったが、それでも、別々の家庭をもった故のある種のよそよそしさは否めなかった。
男は長年どうしても引っかかりを感じていた疑問を思い切ってかの女に告げる。「あのとき、手を引っ張っていたのなら、二人の運命は変わっていたのか」と。

「でも、これって、縁だから−」
老眼だと自嘲気味に告げた眼鏡のむこうに、もう振り袖は着れないと曾て笑ったかの女の笑顔があった。