MJ号の末路

カール・ドライヤー監督の『奇跡』を観るために男はそのビルに入っていった。東京でも有数の繁華街を抜けてビジネス街になろうかとする辺り、陽のあたらない薄暗く細長い建物がフィルムセンターと呼ばれるビルだった。狭いエレベータを嫌って男はいつも階段を使う。上映室は6階だった。男はいつものように階段を登り始めたが、その日は平日の昼間にもかかわらず鑑賞希望者が多数詰めかけていたらしい。階段にも人があふれていた。普段は定員の半数にも満たないその上映室が満席になり、あるいは立ち見になるかもしれないと悟った男は、途中の階で立ち止まり、踊り場のわきに設えられていた10畳程の小部屋に避難する。なにもないその部屋の中央に「それ」はあった。展示されているなどという態のよい置き方ではなかった。いや、「それ」は置いてあるのでさえなかった。どこにも置き場所が無いから仕方なくここに放り出された・・それが正しい言い方だろう。かつて、海底に造られた秘密基地から「それ」は、巨大な排水口から海水の注水を受けた後、高出力ジェットタービンエンジンを唸らせて海中を進み、いつしか海面に浮上したと思いきや、またたく間に第二エンジンをフルスロットルに空中へと飛び立った。無数の飛沫を残し、海面から飛び立つそのマイティ・ジャック号の巨体は、まぎれもなく、テレビ画面に釘づけになった少年時の男の「夢」のひとつだった。
どういう経緯がそこにあったのか、無論男に分かる訳も無い。ただ、そのマイティ・ジャック号は、たかだか全長1メートル強のカーボンプラスチック製の「巨体」をむなしくさらして、そこに漂着したかのように佇んでいたのだった。
その埃っぽい部屋に入室しようとする者は、もちろん男のほかにはいなかった。
上階では上映開始を知らせる遠慮がちなベルが響いていた。