ナイト・フライト

「あなたは何になれるのか?」と無邪気な声で(実は人生の)大問題を出題した少女も、いま会えたとしたら乾物屋の古女将になっているだろうか・・

 去年の暮れに、北九州空港からのJAL最終便羽田行き20:30発にすべり込むようにして乗り込み、持参した文庫本を開こうとした男は、窓際に着座してまもなく、窓外に広がる夜景に思わず我を忘れた。列島の湾岸部に沿うようにして静かなジェット音を響かせながら進むその機外には、クリスマスを控えた街路樹のイルミネーション、ホテル群の並んだ部屋の窓から漏れる灯り、港に接岸されている船舶の標識灯、誰もいないテニスコートの照明、港に向かって畝る様に広がる住宅の玄関灯、行き交う自動車のヘッドライトなどに照らされた、それこそ星屑をちりばめたような一大ページェントがひろがっていたからだった。

 その「下界」にはたしかに「人々の生活」があるはずだった。「にんげんの現実」があるはずに違いない。しかし、はるか上空から見下ろしているその男にそれらが分かるはずも無い。少なくとも生き物の印しなどはどこにもその気配は見当たらなかった。男の耳に聴こえるのは、常に一定のエンジンの唸る音と、機内にいるまばらな乗客の耳に装着したヘッドセットから漏れ聴こえる音楽、そしてかすかな自分の心臓の鼓動くらいだった。つまり、男のいる世界は全くの(あと数十分で終わってしまう事が分かっている)非日常のそれだった。

ーーーセカイヲキジュツスル?
だれかが男の耳元で囁いたとしても、男が気がつくはずも無かった。